自分の劣等感と向き合う 困難を乗り越える
人には少なからず誰にも劣等感があると思う。
私の場合は、学歴がない 容姿もいいとは言えない 性格がよいわけでもない 内向的で暗い 社交的ではない 低収入 という所に劣等感を抱いている。
そんな劣等感を抱いている自分とは対照的に、立派な学歴があり、頭脳明晰、容姿端麗、高収入、性格は明るく社交的で友達が多い人がいる。
そんな人達を見るたびに、自分の奥底に数十年間くすぶり続けている劣等感がずきずきと疼く。
素晴らしい人を見るとイケテナイ自分の心の奥底の劣等感がざわざわと音を立てる。
自分のこれまでの意思と行動が今の自分を作ったのだから、自分の責任なのだが。
では、今後より有意義な人生を生きていく為にはこの劣等感とどう向き合っていけばよいのか。
劣等感は人と自分を比べる事から生まれる。
だったら比べなければ良いのだが、両親から他人と比べられまくって罵られ続けて育った私は無意識に自分と他人を比べて劣等感を感じてしまうのだ。
他人と比べないようにしようと何度も理性で自分にいいきかせても無意識に他人と自分を比べてしまうのだ。
どうやったらこの劣等感を克服して生きられるのか試行錯誤した結果、こんな答えに行き着いた。
それは、自分の好きな事を一つでも多くチャレンジしてみる事だ。
私の好きなことは、乗馬。
しかし、ここでもまた困った事が起こった。
上達の進捗状況を人と比べてしまい、いつもの劣等感が疼きだしたのだ。
そこでまた考えた。
小さな目標をいっぱい立ててその目標達成に全意識を集中するのだ。集中しているときは自分や他人の区別などない。
小さな目標を達成していくたびに、小さな自信が生まれた。それを積み重ねていくと少しずつだけど、自分を優しい眼差しで見つめることが出来るようになった。完全に人と比べる事がなくなったとは言えないけれど、努力している自分をあたたかく見つめる事が出来る様になり、劣等感を持っている不完全な部分を含めて自分を励まし大切に思う事が出来る様になった。
人間の欠点に見える部分は実は表裏一体で、欠点に見える部分も違う角度から見ると長所でもある。
内向的な人は自分としっかりと向き合う強さがある。自分と向き合うことが得意な人は感受性が豊かで他人の痛みにも敏感で共感性が高い。
劣等感があることによってそれが逆に前向きに生きるエネルギーにもなる。
だから、劣等感を抱くことは全然無駄ではない。
自分の好きな事の小さなひとつひとつに全意識を集中して取り組んでいるうちに、今までとは違う景色が見えてくる。楽しみながら小さなひとつひとつにコツコツ取り組んでいる自分を愛おしく思えてくる。少しずつ自分を愛おしく思えるようになって来た時、人と比べて自分を傷つけてきた自分がだんだんと居なくなっていることに気付いた。
すぐに他人と比べない自分にはならないけれど、意識して取り組んでいけば、自分を大切に思える自分に近づける日が必ず来る。
自分を愛おしく思えるようになれば、ずきずきと疼いていた劣等感がなりを潜めるようになるだろう。
自分を愛おしく思えるようになったら、自分こそ世界で一番の友達になるだろう。
世界で一番の友達と生きられたら、人生はワクワク楽しいものになる。