何が本当の幸せだろう? 多くを望まずとも愛することで幸せになれる
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
私の人生を難しくしている原因、それはこだわる心欲しがる心ではないだろうか。
誰かに認めてもらいたかったり、何かを手に入れたかったり私の心の中にある欲望が私を生きにくくしているのではないだろうか。
欲望が全て悪いわけではない。
執着を捨てる事が自分を自由にする事があると気がついた。
自分を苦しめる執着や欲望というのは、何かを自分のものにしたいとか何かを手に入れたいと思う時に発生するものではないだろうか。
それとは逆に、誰かを助けたいとか誰かを幸せにしたいとかいう利他の欲求は決して自分を苦しめない。不思議なもので他の幸せを願う気持ちは自分に最も幸福感を与える。
他人を顧みず自分の利益だけを追求すると自分の心はすさみ他人から疎まれ不幸になる。
それとは逆に、自分を大切にしていつでも今日を大切に生き、他の幸せを願い、困っている誰かを助けている時、人は最も幸せな状態にあるだろう。
無心で誰かの幸せのために尽くしている人は大抵贅沢を好まない。
必要最低限の物資で満足し、困っている誰かを助けることに喜びを感じている。
その喜びは尽きることなく広がっている。
私の乗馬クラブにはクラブの馬の世話を一生懸命に自分の命を削るようにしている人たちがいる。その人たちは柔和で穏やかな優しさに満ちた光を放っている。
その人たちは自分を着飾ることもせず、汗にまみれていつも馬の世話をしている。
自分より弱いものや困っている人や動物を懸命に助けている人たちに私はいつも密かに感動している。
私もこの酷暑で正直にいうとしんどいと思うときもあるが、私の愛する馬や猫たちを全知全力・全身全霊で守ってやりたいと思う。
疲れていても馬の手入れをしている時に、馬がリラックスしてる何とも言えない良い顔をしてくれると、言いようのない幸福感を感じる。
馬との交流を通して、与えられるよりも与えることの幸せを知った。
誰かを心から愛する時、誰かを心から幸せにしたいと願う時、どこからか不思議な力が湧いてくる。暖かくて強くて清らかなパワーが湧いてくる。
贅沢な食事に舌鼓をうつよりも、高級な衣装に袖を通すよりも、
愛する馬や猫や傷ついた動物たちを助け幸せにする方がどんなに嬉しいかわからない。
愛するものの笑顔が私の幸せ。人は与えられるより与えることで幸せになれる。
多くを望まずとも幸せになれる。
多くのものに囲まれているより、小さな簡素な生活を大切に味わって生きる方が味わい深く、幸せの感度を深めて生きていける。
愛されるより、与えられるより、
愛すること、与えることこそ私の幸せ。
愛するものの安らかな笑顔が私の安らぎであり幸せでもある。
どんな贅沢な暮らしをするよりも、心に愛があり、小さな暮らしを大切に味わうのが私の幸せ。
柿のかき氷